戦後61年
「靖国問題が総裁選の争点に」「小泉首相は公約を果たした!?」15日から、マスコミをにぎわしているところですが、戦後61年というのは、あくまで、日本国内にいた人にとっての時間です。小学生時代、返還されたばかりの沖縄に行って、終戦日が異なることを知った。事務所で開催している「日本丸ごと学習塾」を訪れた中国からの方にとっては、終戦の捉え方はまるで違います。
彼女のお母さんは、九州から学徒動員で、大陸へ渡りそのまま終戦を迎えたそうです。1972年日中国交正常化によって、父親と連絡が取れ、やがて日本に帰ることができた。既に、日本語通訳と結婚していた彼女の母親は、文化大革命の時代に、日本語を話すことをやめ、息を潜めてきたらしい。彼女は数年してまた中国へ帰国。その後、横浜でなくなるまでに、一人ずつ子どもたちを呼び寄せた。しかし、子どもたちの生活も安定はしなかった。、、、、「本当は父親も日本語がうまかった。」と彼女は悔しそうに語った。
言葉の壁は厚く、彼女自身も、中国へ戻ったりしながらで、将来どこで過ごすのかも迷いがあるらしい。彼女は、終戦の年よりも、日中国交正常化への年代等を明確に記憶している。
日本の戦後処理は、まだ終わっていない。今でも、新たに、残留孤児2世が日本にやってきている。経済的理由が大きいが、国は、自治体は何をしてきたのだろうか。経済的支援だけでなく、支援制度の充実が必要だ。
戦後の議論を内向きにしてほしくはないと痛感している。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

最近のコメント